よのなかにたえてさくらのなかりせば

在原業平のこと

 このページでは、古今集中、店主最愛の歌人在原業平について、読みかじり聞きかじりの知識を総動員してご紹介いたします。
 彼の歌は古今集に30首採られており、六歌仙・三十六歌仙のひとりに数えられ、人となりは「体貌閑麗 放縦不拘 略無才学 善作倭歌」(三代実録)と評されました。『伊勢物語』の「昔、男」に擬せられて、そのエピソードは広く知られています。
 まあ、そんなことはおいときまして、とにかく彼の歌が好きなのです。

在原業平基礎データ

氏名 在原業平/アリワラノナリヒラ
通称 在五中将/ザイゴチュウジョウ(在原氏で、五男で中将だったから)
生没年 825〜880(まあまあ長生き)
平城天皇皇子阿保親王/アボシンノウ 
桓武天皇皇女伊都内親王/イトナイシンノウ
兄弟 行平/ユキヒラ(現存最古の歌合、在民部卿歌合を主催。この人はかなり偉くなった)ほか大江音人(?)など
紀有常女/キノアリツネガムスメ
最終到達官位 従四位上(皇孫の官位ってこんなもんなんでしょうか……) 
古今集における特徴 彼の歌についている詞書は異様に長い。
紀貫之彼の歌を評して曰く その心あまりて、詞足らず。しぼめる花の色なくて、匂ひ残れるがごとし。(気持ちが溢れ出してしまって、表現がついていってない。)

業平のBACKGROUND

 彼の父・阿保親王は「薬子の変」に連座して一時配流されていました。都に戻ったのは業平が生まれる前年のことです。842年の「承和の変」の際には、乱のあらましを告げられた阿保親王は苦慮の末、このことを朝廷に密告しました。これをきっかけにときの皇太子恒貞親王は廃太子、藤原良房の同母妹順子を母とする道康親王(のちの文徳天皇)があらたに皇太子となり、良房の天下は磐石となっていくのです。阿保親王は自責の念にかられ、乱からわずか3ヵ月後に死去。ときに業平は18歳でした。まあ、きわめて高貴な両親を持ってるとゆーのに、最初からけちのついた人生ですね。若い頃は、かなり長い間官位が上がらないままだったりもします。そしてまた彼は、平安初期における、「藤原氏に圧倒されていく他氏族」の人間でもありました。それが彼の奔放な行動の原因の一つでしょう。
 でも彼は、「悲劇的」というのとも少し違う感じがします。業平の歌を見ていると、なんかしぶとい人物像が浮かび上がってくるのです。かなりぎりぎりまで出世してますしね。しかし同時に、純粋で激しい心の持ち主でもあったでしょう。その両方を持っていることが、彼の歌の魅力なのだと思います。
 業平は「色好み」として知られていますが、彼の恋のエピソードとしては、やはり清和天皇の后・藤原高子との悲恋(いわゆる二条后の物語)がもっとも印象深いものです。ほかに、斎宮とのひそかな恋もよく知られています。

業平の歌NEW!!

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