ワタシガ短歌ニハマッタ理由

私が初めて、学校の課題とかじゃなく短歌を詠んだのは、19歳のときです。
それには、こんな経緯がありました。

ある日、大学に向かう道すがら。私は唐突に、どうしても短歌が読みたくなりました(この感覚は食欲によく似ています)。私は小説を読む元気がないとき、歌集を読むのを習慣にしておりましたので、まあ、そう変ったことでもありません。しかし、それまで私がつれづれに読んでいた短歌とは、『万葉集』や『古今集』、それに『和泉式部集』などの、いわゆる古典でした。ところがその日書店に入った私は、なぜかふらふらと文芸雑誌の棚に向かい、角川の『短歌』(現代短歌の月刊総合誌)を買ったのです。どうしてかわかりません。そのときまで私は、現代短歌というものにひとかけらの関心もありませんでした。でも、その日一日かけて『短歌』を詠み終わったとき、私は完全に現代短歌にはまっていました。
正直に申し上げますと、自分の心を揺さぶったはずの、そのときの『短歌』収録歌を、私は覚えておりません。ただ、たくさんのリズムと、声調と、意味と、字面とにもみくちゃにされているうちに、自分の所感までがいつしか5・7・5・7・7の形へと収束していくような、奇妙な興奮状態におちいったのでした。

みようみまねで短歌を作り始め、作るのをやめ、今また少しずつ詠み始めています。三年ぶり、くらいでしょうか。

短歌が好きです。

ひとつには、読んだとき、気持ちがいいから。大学のとき、ある先生が枕詞に関する話の中で、「あをによし」と声に出すと、何とも気分がいい、とおっしゃっていました。それは無条件な音の気持ちよさです。私が短歌を好きな理由には、それがとても音楽的だから、ということがあります。音の流れ。するすると流れる歌、停滞する歌、つまったような、急いだような音運びの歌があります。音の質、というのもあって、ふくらむ音・しぼむ音・硬い音・柔らかい音……。
見た目もあります。華麗な字面・シンプルな字面、どちらもそれぞれに魅力的です。

もうひとつは、あたりまえのことかも知れませんが、短歌はすべてのボキャブラリィに対して開かれた世界だということです。
<カンチューハイ>から<王(おおきみ)>まで、王朝ぶりの枕詞も、ラテン語の病名や動植物の学名も、最新の俗語流行語、はては英文字・絵文字までも、作者が必然だと信じるならば、自由に使うことが出来る。
短歌の世界には、本当に珍しいくらい沢山の言葉が、同じ重さであふれていて、その豊かさが大きな魅力になっているのではないでしょうか。

そんなこんなで、とにかく短歌が好きです。