下のほうに店主の駄コメントがありますので、よろしければご覧ください。

夏歌


五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする よみ人知らず

夏の五月を待って咲く、花橘。その香りをかぐと、昔親しくしていたあの人の袖の香りがしてくるようだ……。


いつの間に五月来ぬらむあしひきの山時鳥今ぞ鳴くなる よみ人知らず

いつの間に、五月になったのだろう。山ほととぎすが、今、ここまで来て鳴いている。


蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく 僧正遍正

蓮は泥水の中に咲くが、澄みとおっていて、濁りに染まることはない。なのにこの聖なる花はなぜその清い心で、自分の上に置く露を玉と見せかけて人をあざむくのか。


夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ 深養父

夏の短夜は、まだ宵のうちだというのに明けてしまった。沈む間もない月は、あの雲間のいったいどこに、宿りしているのだろう。

<後記> 
 夏歌、おわりっ!!(←怒) しかしまあ、古今集には冷遇されてることこの上ない季節であります。さっそく「百人一首の歌は取り上げない」という規則(?)を破りました。ま、でも、理知的で余裕ある古今集らしい詠みっぷりの歌がそろってて、夏歌も悪くないんじゃないでしょうか。あんまりホトトギスばっかり続くといい加減うんざり(はっ。不敬な発言をしてしまった)してきますが……。ということで、ホトトギス関係(??)の歌でいいのはほかにもあるけど、一首だけにしときました。
 一首目に上げた「昔の人の袖の香ぞする」。ほんとうに、いい歌ですよね。やさしく、晴朗と思います。しかしこれが新古今の才媛・俊成女に本歌取りされると、

 橘のにほふあたりのうたたねは夢も昔の袖の香ぞする

なんてことに。この歌もすごく有名で、私も好きですが、こうなると私には、昔の恋人のみならず、遠い古今集時代の、文字通り昔の人の袖の香すらただよってくるようで……しかも芳しい香りの中のうたたね、仮寝の夢の中でありますから、そこはかとないアンニュイさもあって、もはや、ひととき現出する夢幻の境といえましょう。本歌を引っ張ってくる際の「そうきたかっ」みたいなひっくり返し方の妙って、俊成女の魅力だと思うんですけど、それにしてももと歌とあまりにかけ離れた風景・心情……。いやあ、怖いね、新古今(でも好き)。

 ときに、夏嫌いの話に戻りますが、『和泉式部集』のなかに「世の中にあらまほしき事」という詞書の連作がありまして、そのなかにこんな歌が。

  世の中は春と秋とになしはてて夏と冬とのなからましかば
 

 嫌われたねえ(笑)。でも、王朝人の雅もさることながら、エアコンのない時代、結構切実な実感だったのかもしれませんね。

HOME

本文は和泉式部と俊成女の歌以外旺文社文庫の古典対訳シリーズを使用