短歌

短歌が大好きです。
高校生の頃夢中で読んだ『古今和歌集』から現代短歌まで、ほんの少しずつご紹介します。
訳はきわめて適当につけております。直訳でないところもあり。信用しないでください。

CONTENTS

<古典和歌>
百人一首
古今和歌集
在原業平のこと
MY FAVORITES

<現代短歌>
現代短歌の世界
ワタシガ短歌ニハマッタ理由
(くだらない上に長いので、お暇な方だけどうぞ)


<百人一首>

短歌といえば百人一首、知らない人はいないでしょう。
中学の国語の時間、冬になると毎週十首ずつ暗記のテストされたのを思い出します。
そのあとグループに分かれてかるた。札読まずに「清少納言!」なんて言って、取れるか、とか、遊んでたな。
どの札を一番最初に覚えたか、ってのも人によって様々のようですが、私のまわりはなぜか
「あまつかぜ」だったという人と「あまのはら」だった人に分かれます。
「あ」で始まるからなんでしょうか(でもそうすると「あきのたの」や「あしびきの」は……? やっぱり単なる偶然か)。

天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ乙女の姿しばし留めむ
 
天を吹きすぎる風よ。天女のようなあの美しい乙女(五節の舞姫)の姿を、しばし私は見ていたい。
だからどうか、天女の還る天への雲の通り道を、吹き閉ざしてしまっておくれ。 
僧正遍昭(12番)

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

広いそらを見渡せば、月が出ている。この月は春日にある三笠山で見たのと同じ月なのだ。
安倍仲麿(7番)

ちなみに私は「あまのはら」でした。
ついでに人気のある歌。まわりでは「たまのおよ」(式子内親王の歌)が人気だったように記憶しております。
何か、一途な歌だっていうのは子供にもわかるもんね。私も好きでした。
でも個人的に子供の頃もっと好きだったのは「みかのはら」。
「みかの」「いつみきとてか」と「み」の連続、
さらにこの歌の眼目(序詞になってる)である「いずみ」(地名)と「いつみき」(「いつ見た」)の「いつみ」の連続。
声に出すと音がかわいい!! 昔から字の感じより音で好き嫌いが分かれる子でした。
よく考えるとかなり技巧に走っちゃった歌なんですけどねー。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
玉をつなぐ糸のようにつながる、私の命よ。絶えるなら、絶えてしまうがいい。
もし生き続けたら、人目を忍んで隠しとおす私の心が弱ってしまうかもしれない。
(人に知られてはならないのだ、この恋心を……)
式子内親王(89番)

みかの原わきて流るるいずみ川いつみきとてか恋しかるらむ
みかの原に、泉のように湧き出でて流れるいずみ川。その「いずみ」ではないが、あなたを「いつ見」たというので、
私はこんなにもあなたを恋しく思うのだろう。(まだ会ったことなどありはしないのに)
中納言兼輔(27番)

あとまあ、「姫」(坊主めくり……)札はみんな人気だったな。清少納言、小野小町、伊勢……。
「姫」の上にタタミ(天皇とかは畳に座って描いてあるじゃないですか、アレですアレ)だと、最高! 持統天皇ですな。
思い入れある札を人に取られると、口惜しかったですね。今でも口惜しいかも(←お子様)。

今、好きな歌ということになると、いろいろありますが、一番は伊勢大輔の「いにしへの」です。
これは漫画がきっかけで好きになりました。(佐久間智代『狂華―日野富子物語―』角川書店あすかコミックス収載の「都桜」)
宮中に奈良の八重桜の献上があったとき、その花を題に詠まれたもので、
「八重桜」と宮中/都を称する「九重」をかけ、歌い出しも晴れやかに、いかにも公の祝い歌らしい声調をもったお歌です。

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
古都奈良に咲き誇った八重桜が、今日は九重の宮中に美しく咲きにおっていることだ。
伊勢大輔(61番)

百人一首この一首

あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな 和泉式部(後拾遺集)


                     おすすめの百人一首関係書

田辺聖子『田辺聖子の小倉百人一首』角川文庫
筆者と、与太郎青年(若者)、熊八中年(オヤジ)との対話形式をまじえて語られる一首一首の味わい、背景。
気軽に読めます。参考文献リスト付。

尾崎雅嘉著/古川久校訂『百人一首一首一夕話』上下、岩波文庫
江戸時代の学者が書いた百人一首注釈書。一首一首「この歌の意味は……」って説明がついていて、
江戸時代の人も現代語訳ないと困ったのね、と、ちょっとほっとします(?)。
いろんな資料を駆使して歌人の経歴・エピソードが書かれており、面白いです。文章は近世古文で書かれています。
たとえば伊勢大輔だと
「父輔親伊勢の祭主たりし故、その女を伊勢大輔と呼びたるなり。これも上東門院の女房にて、歌詠みの名高かりし人なり」
(父親の輔親は伊勢神宮の祭主だったので、その娘を伊勢大輔と呼んだのである。
この人も上東門院(中宮彰子/藤原道長の娘)に仕える女房で、歌人として名声の高かった人である)と始まります。
上古の古文と違って、サクサク読めますよ。文法以外、構造は現代文とほとんど変わりませんからね。
現代ものの感覚で、是非どうぞ。

BACK

<古今和歌集>

本朝初の勅撰和歌集(てゆーか、日本以外で勅撰和歌集なんてないか……)。
序文には「延喜五年四月十八日」の日付があり、この年(905年)に成立して天皇に奏上され、その後若干の増補・改訂がなされたと考えられています。
勅を下したときの天皇は醍醐帝、選者は紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑。全二十巻、千百十一首を収めます。

古今和歌集この一首

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 紀友則

古今和歌集

序文 仮名序 収載歌数
1・2 春歌 上・下 134
夏歌 34
4・5 秋歌 上・下 145
冬歌 29
賀歌 22
離別歌 41
羇旅歌 16
10 物名 47
11・12・13・14・15 恋歌 一・二・三・四・五 360
16 哀傷歌 34
17・18 雑歌 上・下 138
19 雑躰 68
20 大歌所御歌・神遊びの歌・東歌 32
家々に証本と称する本に書き入れながら、墨を以ちて滅ちたる歌(墨滅歌) 11
序文 真名序 計1111首

BACK

このように歌の内容では「恋歌」(恋愛に関する歌)が圧倒的に多く、二十巻中五巻を占めており、
季節の歌では秋、ついで春を歌ったものが多くなっています。

さて、古今集は王朝和歌のはじめであり、後世の文学に絶大な影響を与えました。
『枕草子』には、中宮定子が古今集の上の句を読んでは御前の女房たちに下の句を尋ね、
そこから「村上帝の宣耀殿女御(藤原芳子)は古今集をすべて暗記していらしたのよ」という話になる段
(20段、「清涼殿の丑寅の隅の」)があります。(芳子の話は『大鏡』にもあり)

「古今の草子を御前に置かせたまひて、歌どもの本をおほせられて、これが末、いかにと問はせたまふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、けぎよう申し出られぬは、いかなるぞ。宰相の君ぞ、十ばかり、それも、おぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、ただおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、さやは、けにくく、おほせごとを映えなうもてなすべきと、わびくちをしがるも、をかし。」

(中宮様)は古今集の本をご自分の前に置かれて、お歌の上の句をおっしゃっては「これの下の句は?」ってお尋ねになるんだけど、いつだってきちんと覚えている歌もあるのに、きっぱり申し上げられないのは、どういうことなのかしらね? 宰相の君(中宮様の上臈女房、つまり私にとっては同僚ね)が十首ばかり(はお答えしたけど)、覚えている(ほう)とはとても言えないわよね。まして五首か六首(しか思いつかない)なら、(これはもう)「覚えておりません」とだけ申し上げるほうがいいようなものだけど、「そんなこと、せっかくの仰せをそっけなく扱うなんて」と(皆が)口惜しがるのも、おもしろいの。


「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一条の左の大臣殿の御女におはしけると、誰かは知りたてまつらざらむ。まだ姫君と聞えける時、父大臣の教えきこえたまひけることは、一には、御手を習ひたまへ。次には、琴の御琴を、人より異に弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌廿巻を皆うかべさせたまふを、御学問にはせさせたまへとなむ、聞えたまひける、と、きこしめしおきて、御物忌なりける日、古今を持てわたらせたまひて、御几帳をひき隔てさせたまひければ、女御、例ならずあやし、と、おぼしけるに、草子をひろげさせたまひて、その月、なにのをり、その人の詠みたる歌は、いかにと、問ひきこえさせたまふを」


「村上天皇の御世に、宣耀殿の女御と申し上げた方が、小一条の左大臣のご息女でいらしたことは知らない者もおりますまい。まだ姫君と申し上げた頃(入内前ってことね)、父の大臣が教え申上げて、「第一には、お習字をなさいませ。第二には、琴の琴(7弦の琴)を、人にまさって上手に弾こうとお心がけなさい。さらに、古今集二十巻(の歌)すべてを暗記なさるのを、学問となさい」と申し上げた、というのを(帝は)かねてよりお聞きになっていて、物忌みの日に、古今集を持って(女御に)お渡りになり、几帳を立てて(女御と自分とを)隔てられたので、(女御は)「いつもと違う。変だわ」とお思いになったところ、(帝は)本をお広げになり、「○○の月、○○の折、○○の詠んだ歌(詞書を読んでらっしゃるわけよ)は何か」とお尋ねあそばすので……。」


このあと帝によるテストが続きますが、ついに女御は一首も間違わずじまいだったというお話。
定子はこの逸話を「すばらしいことだわ」と賞賛し、帝(ここでの帝は一条帝)もそうだねってほめるのですが、
「私なんか、たった3.4巻だって読みきれないだろうな」(一条帝、このコメント、ラブリー!←怒)とも。
昔の人は偉かった、みたいな終わり方ですが、古今集がいかに王朝貴族の必須教養であったか、その重要性を感じさせます。
(しかし、意外に女房方、覚えてないじゃないか、って話も。)

『源氏物語』も随所で古今集をふまえています。

近代に入ると、正岡子規によって「貫之は下手な歌よみ」だの(古今集は)「くだらぬ集」だの、さんざんに酷評されますが、
これは、新しい短歌のためにはいわば「古今集型」の無批判なくり返しを滅ぼさねばならない、ということであって、
それだけ古今集の影響力が強かったことの証左でもあります。